2020 . 12 . 22

SODA「聞こえるきょうだい」の弁護士が語る家族 [転載]

一般社団法人手話秋田普及センターが主催した第3回「見えない障害を考える講演会」(2020年7月19日に開催)では、「気づきにくい、もう一人の当事者~きょうだい・家族」がテーマになりました。冊子「十人十色Ⅱ」(750部作成され、秋田県内の小学校・中学校・特別支援学校・高等学校、障害福祉課等へ配布)から講演ダイジェストを転載します。

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藤木 和子  (弁護士・聞こえないきょうだいをもつSODAソーダの会代表)

弁護士。聞こえない弟と育つ。20代で「きょうだい」という言葉に出会ったのが転機。専門は家族。公私にわたり、障害児者、家族、支援者に関わる。聞こえないきょうだいをもつSODAソーダの会を立ち上げ、代表。筑波技術大学で聴覚障害学生に法律学を教える。NHK、新聞各紙、AbemaTV等。全国で講演多数。(写真左から3番目)

「十人十色Ⅱ~見えない・障害を考える2020~」


 手話秋田普及センターでは、2019年度に引き続き、2020年度も「見えない障害」をテーマに事業活動を行いました(一般財団法人 秋田県教育関係職員互助会助成事業)。

 冊子は750部作成され、秋田県内の小学校・中学校・特別支援学校・高等学校、障害福祉課等に配布の他、助成事業の性質上、販売等はしておりませんが、多くの方に読んでいただきたいのでホームページで順次、公開(一部加工あり)しております。
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冊子(PDF版58ページ)、順次公開予定はこちら
https://shuwafukyu.jp/free/sasshi2020

SODA”聞こえるきょうだい”の弁護士が語る家族~”聞こえるお姉ちゃん”から”私”になるまで~


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 2020年7月19日、秋田での講演の予定でしたが、新型コロナウィルス感染症対策のため、会場の参加者を25名の少人数にして、講師はリモート講演となりました(会場:秋田拠点センターアルヴェ、情報保障:手話通訳あり)。下記は、冊子「十人十色Ⅱ」に掲載されている講演のダイジェスト版を転載したものです。

気づきにくい、もう一人の当事者~きょうだい・家族~


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 弁護士の藤木和子と申します。今回は「見えない障害」のテーマに、「気づきにくい、もう一人の当事者~きょうだい・家族」を取り上げていただき感謝しています。
 私は、3歳下の“聞こえない弟”と一緒に“聞こえるお姉ちゃん”として育ちました。2018年に「聞こえないきょうだいをもつSODAソーダ&家族の会」を立ち上げ、代表をしています。
 また、SODAの会の他、Sibkoto障害者のきょうだいのためのサイト、全国きょうだいの会など、障害種別を問わないきょうだいの会や情報発信・交流サイトの運営にも関わっています。弁護士としての専門は家族関係で、これまで仕事や活動を通して数百人の障害児者のきょうだい・家族に出会ってきました。

考えさせられたエピソード


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 聞こえない友人に弟とのケンカの話をしたところ、「ケンカができてうらやましい。コミュニケーションがないからケンカすらできない。」と言われたことがあります。また、聞こえない依頼者側の弁護士として、親が亡くなった後の遺産相続に関わった際に、中年を過ぎたきょうだい同士に手話通訳が入り、はじめてきちんとした話し合いができた場面にも、何度か立ち合いました。

 どちらのエピソードも「聞こえるきょうだい」の側の私にとっては複雑でした。そして、エピソードの「もう一人の当事者」である「聞こえるきょうだい」もちゃんとケンカをしたり、もっと前から話し合いたかったと思っているかもしれないとも感じました。「聞こえるきょうだい」であるSODAとはどのような存在なのでしょうか。今回は、一人のSODA・きょうだいの視点からお話させていただきたいと思います。

「SODA(ソーダ)」って?


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 「SODA(ソーダ)」とは、「聞こえるきょうだい」、つまり、「聞こえない子どもと一緒に育っている子ども、一緒に育った大人」のことをいいます。英語の「Siblings Of Deaf Adults/Children(シブリングス・オブ・デフ・アダルト/チルドレン」の頭文字を取ったアメリカ由来の言葉です。「Sのシブリング=平仮名のきょうだい」については後述します。

 「聞こえない子ども」が1000人に1人生まれる中、SODAも同数近くいると思われます。SODAは残りの999人の「聞こえる子ども」に入りますが、999人の大多数は「聞こえる子ども」と呼ばれることはありません。SODAだけ「聞こえるきょうだい」と呼ばれるのはなぜでしょうか。つまり、すぐそばに比較対象となる「聞こえない子ども」がいることにSODAの特殊性があると思います。このようなSODAの存在や共通項は、会の立ち上げを通じてSODAという言葉とつながりが広がったことによって少しずつ「見える」ようになってきたところです。

多くの共感を得た中3のSODAからのメッセージ


 SODAの会は、大人になったSODAと聞こえない当事者で一緒に運営しています。先ほど紹介したエピソードなどは非常に難しい課題ですが、私は一人のSODAとして、まずは聞こえない当事者ときょうだいや家族について話したい、一緒にヒントや解決策を考えて、次世代、子育て中の保護者の方々、先生方、周囲の方々につなげていけたらと思っています。

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 SODAの子どもたちのメッセージは、「いつもママといっしょでうらやましい」「(聞こえないことと関係ないのに)いつもママにてつだってもらっちゃだめ」「聞こえないことを理由にしてしらんぷりしないで」など、SODAの大人や聞こえない大人も、保護者の方々と一緒にハッとさせられたり、共感したり、時々ほほえましくなったりしながら、頭を悩ませて一緒に考えています。詳しくは「十人十色~見えない障害を考える2019~」の寄稿文をご覧ください。

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 今回、ご紹介する中3のSODAの「“聞こえる・聞こえない”の前に、“人間として”、“一人の私として”見てほしい!」は、「聞こえるから・聞こえないから」と言われてきたSODAと聞こえない当事者の共通の願いであり、多くの共感を得た本質的なメッセージです。私自身の「聞こえるお姉ちゃん」から「私」になるまでも少し振り返ってみたいと思います。

「兄弟姉妹」から上下や男女のない「きょうだい」へ


 SODAのSは「Sibling(シブリング=平仮名のきょうだい)」です。これから広まっていくと思いますが、「兄弟姉妹」、「Brother(ブラザー、兄弟)」や「Sister(シスター、姉妹)」と違って、上下や男女もありません。今の時代に合った言葉ですね。
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 多くSODAや他の障害のきょうだいから感じるのは、保護者や先生などの周囲の大人、ひいては社会の「兄弟姉妹」に対する「見えない役割意識」の影響がベースにあり、それが「聞こえる・聞こえない」「障害」などによって、さらに強まっているということです。

 私自身は、弟とはテレビゲームや取っ組み合いのケンカも本気でやるお姉ちゃんで、あまり「姉」の役割意識がありませんでした。なので、親からは「お姉ちゃんなのに…(しかも聞こえるのに…)」とよく言われていました。
 そう言われた私は、「聞こえる・聞こえない」の前に「お姉ちゃんって損!自分では選んだわけじゃないのに」と思っていました。中学の英語の授業で、ブラザーやシスターには上下がなく、家族も名前で呼び合うことを知り、「もうお姉ちゃんとは呼ばないで、名前で呼んで」と宣言したこともあります。私としては、「姉と弟」ではなくただの「きょうだい」でいたかったのです。
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 一方で、大人になり「きょうだい」というテーマに関わるようになって、「お姉ちゃんらしくいたい」、「お兄ちゃんだから頑張る」という意見にも出会いました。一人一人感じ方が違うことを実感するとともに、自分の中にも似たような気持ちが片隅にあることにも気づきました。兄弟姉妹とは奥が深い関係だと思います。「きょうだい間の平等」(※Q&A参照)を基本にしながら、一人一人違うそれぞれの「私」の思いや考えを尊重していくことが大切だと考えています。

「聞こえる・聞こえないに関わらず、きょうだいは平等に」


 「兄弟姉妹」の場合と同様、「聞こえる・聞こえないから/のに」と無意識にしてしまいがちな比較や役割意識に注意が必要です。コミュニケーション上の配慮・調整は重要ですが、「聞こえる・聞こえないに関わらず、きょうだいは平等に」は、大人になったSODA・聞こえない当事者からの共通のメッセージです。
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 私は「聞こえるのだから弟の分も頑張って」、弟は「聞こえないのだから頑張って」とどちらも「頑張って」と言われていましたが、結局は聞こえる・聞こえないに関わらず、誰もが「私」という自分自身の分を頑張ることしかできませんし、自分で頑張りたいと思うことが大事だと思います。
 
 また、最近は「ヤングケアラー」という家族の世話を担っている子ども・若者を指す言葉も広まりつつありますが、SODAへの「助けてあげてね」「きょうだいがいるから安心ね」「えらいね」などの励ましや褒める言葉も、実はSODA・聞こえない当事者の双方にとって微妙な場合が多いです。SODAや聞こえる側が助けるのが当たり前という一方的な関係ではなく、「私」と「私」同士の双方向、その場にいる全員が助け合う関係になるためにはどうすればよいのか全員で共有する課題だと思います。家族やその周囲は最初の社会であり、その後はそれぞれが「私」として自分の人生を歩んでいくからです。

 SODAの会では、このような「きょうだい・家族だから遠慮なく話したい、でも、話しにくい…」という内容をテーマにしています。SODAと聞こえない当事者、家族それぞれ一人一人違う「私」の体験や意見を大事にしながら、「何でも話せる、笑いもケンカもSOSもNOも共有できる関係」をめざしていきたいと思っています。

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「十人十色Ⅱ」に同じく講演録ダイジェストを掲載しているNPO法人インフォメーションギャップバスター理事長の伊藤芳浩さんは「聞こえない兄」的立場




「聞こえるお姉ちゃん」から「私」へ


 上記の内容は、「聞こえるお姉ちゃん」だった頃から、「聞こえる・聞こえない」という「見えない壁」に一人のSODAとしての自分なりにぶつかり、壊そうとしてずっと考えてきたことですが、ここ数年でようやく発言できるようになりました。大げさですが、ようやく「私」になれたような気がします。

 SODAの会を立ち上げるまでに大きな勇気が必要だったことや時間がかかってしまったことは「見えにくい存在のもう一人の当事者」だったことも大きな要因だったと思います。また、「見えにくいものをどうにかして見せよう」「気づいてほしい」と必要以上に肩ひじを張り、声高になってしまっている部分もあるかもしれません。

 講演の際に「SODAで良かったことは?」という質問をいただいて下記でもお答えさせていただいていますが、課題の発信とともに「SODAって面白い!」という部分の発信にもチャレンジしていけたらと思います。これからも「もう一人の当事者」であるSODAやきょうだい・家族の視点から多くの方々と一緒に考えていけたらうれしいです。

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