2018 . 11 . 02

“きょうだい児”だったから弁護士になった私~周囲の期待と自分の進路・職業選択~

 Sibkoto運営者の1人であり、聴覚障害がある弟をもつ藤木和子さん。「“きょうだい児”だったから弁護士になった」「“弁護士”である前に“きょうだい児”」の意味は?周囲の期待と自分の進路・職業選択、大人になったきょうだい児としての活動への原動力、Sibkotoへの思いをインタビューしました。

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藤木 和子 さん  (Sibkoto運営者・聞こえないきょうだいをもつSODAソーダの会代表・弁護士)

1982年生まれ。2012年弁護士登録。聴覚障害と手話、家族関係を専門。Sibkotoの運営者のひとり。2018年、法律事務所シブリング(英語で兄弟姉妹の意味)を立ち上げ、独立。Sibkoto共同運営者、聞こえないきょうだいをもつSODAソーダの会代表の他、複数のきょうだい関係の団体の運営に関わる。大学の講師の他、自治体、学校、団体等で子どもから大人に向けて「きょうだい・家族」「法律・人権」等をテーマに研修・講演活動を行う。

”きょうだい児”としての自分の思いや考えを伝えたくて、弁護士に



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課題はいろいろとありますが、もう迷わず、シンプルに



5歳できょうだい児に
 私が“きょうだい児”になったのは、3歳下の弟の耳が聞こえないとわかった5歳の時でした。2人姉弟です。
 
迷走しながら29歳で弁護士に
 私が迷走しながらも29歳で弁護士になったのは、やはり、子どもの頃から「”きょうだい児”としての自分の思いや考えを世に伝えたい」という気持ちをどこかに持っていたからだと思います。
私は「“弁護士”である前に“きょうだい児”」でした。それが私の原点です。自分の迷い、壁、課題を感じながら体当たりの数年間でしたが、最近、少しずつですが、講演やメディアなどでも発言の場をいただけるようになり、ようやく出発点に立てたと感じています。

NHK Eテレ「ろうを生きる難聴を生きる」(2019 年2 月2日放送、全文ダイジェスト)

主なメディアでの掲載、講演、プロフィール詳細


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お姉ちゃんらしくなく、遊びもけんかも本気
 私と弟は遊びもけんかも本気で”きょうだいは対等”だと強く意識してきました。
「お姉ちゃんは聞こえるのだから弟の分も頑張れ、助けてあげて」という周囲には、励ましなのはわかるのですが、「私は私の分、弟は弟の分しかなくて、誰もが自分以外の分まで頑張るのは不可能」「弟だって私に助けてもらうのは嫌だろうし、私だって誰かに助けてほしいのに」という違和感がありました。
私も頑張ったり、役に立つことが嫌なわけではないですがそれが当たり前になってしまうのは不公平。もっと周囲の方ができることで関わってくれれば、私と弟、親、周囲、社会で広い意味での助け合いができれば、納得できる公平がほしいと今から振り返ると思っていました。※感じ方はひとりひとり違います。

弟とのコミュニケーション方法
 弟とは、口をゆっくり大きく開け、表情や身振りを付けて話していました(今は手話)。そのため、私は話すのがゆっくりで表情や身振りがオーバーだとよく言われます。私と弟の関係についてはこちらでもう少し詳しくお話しています。

“きょうだい”の活動に対する反応
 当初は活動をしていいのかかなり迷いました。こちらをお読みください。
 弟や聴覚障害のある友人や知人が私のきょうだいとしての活動に関心を持ち、運営にも関わってくれること、率直な思いや体験を語り合ってくれることに何よりも感謝しています。聴覚障害のきょうだいはSODA(ソーダ、Sibling=兄弟姉妹シブリング of Deaf=聴覚障害デフ)といいます。
 
聞こえないきょうだいをもつSODAソーダの会
SODAは現在全国で30名程と出会っています(幼児、小中高生と親子なども)。
SODAに限らず、「家族」をテーマに、親御さんや祖父母の方、聴覚障害のある親をもつ聞こえるコーダの方、聞こえないデフの方、医療、教育、福祉、手話、情報保障等の専門家の方々なども広く参加されています。ご関心のある方はどなたでも歓迎です。
聴覚障害の親をもつCODA(コーダ、Children of Deaf Adult)、コミュニケーションバリアの解消をめざすNPO法人インフォメーションギャップバスターと連携しています。詳細はホームページをご覧ください。

【ホームページ】聞こえないきょうだいをもつSODAソーダ&家族


実は・・・私が弁護士になった”本当の理由”


“きょうだい児”と”跡継娘”に 
 あまり言いたくない気持ちもあるのですが、私は埼玉の地元の“弁護士の娘”で、”きょうだい児”になったのと同時に人生が変わり、”後継娘”になってしまったという感覚があります。それがタイトルの「”きょうだい児”だったから弁護士になった私」の直接的な意味です。

”父の娘” 
 弟と母が療育などに行っている間、私は父の仕事によく付いていきました。父は故郷を出て、努力を重ねて弁護士になり、とてもエネルギッシュな性格。アニマル浜口さん、京子さん父娘を見て他人とは思えないものを感じていました・・・。
 今も”きょうだい”としての活動に一番厳しく熱いコメントをくれるのは父で、逆に受容的なコメントをくれるのが母です。

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私の実感ですが、”きょうだい”も”家業”も「将来はよろしくね」は重なる部分がある課題だと思います。



「まずは弁護士の試験に受かるしかない」



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物心付いた時から考えていたこと  
 私は、反発しながらも「父のために頑張ってあげたい」「勉強を頑張ることで、自分自身と弟、家族を差別や偏見から守りたい」という家族への気持ちと「私は弟から何かを取ってしまったのではないか」という罪悪感が交錯していました。また「私も弟も将来どうなるのか、ちゃんとした大人になれるのか、幸せになれるのか、結婚したり家族は持てるのか」と不安でした。
 そこで、すべてを振り切るように、「まずは弁護士の試験に受かるしかない」と全力でアクセルを踏みました。

大人になったきょうだい児として伝えていきたいこと  
 私と弟の未来像、SOSを発信する力と適切な相談相手、差別や偏見への対応方法などのほしかったものやしてもらってうれしかったこと、自分でもこうすればよかったことなどを伝えていきたいです。
 私、家族の遠回りを一例に、子育て中の親御さんや学校の先生などの周囲の大人の方、次世代のきょうだいの方に、反面教師として参考にしていただければ本望ですし、私の一番の原動力です。

”障害や病気のある子どものきょうだい”について先生方に知っていただきたいこと
(明治図書HP 教育オピニオンに掲載)

迷走



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高校生の頃、明るく楽しければ何でもいいと思っていました。



”将来の夢”と迷走
 小学校の卒業文集の”将来の夢”は弁護士と書きましたが、弁護士の試験に合格したら合格証書を置いて実家も地元も出たかった時期もありましたし、反動で全く勉強しなかった時期もあります。
 高校生で留学して家を飛び出しました。その後、必死に勉強して東大に入りましたが、法学部から転部を考えて留年したりと迷走を続けました。
 今から思うと、私は私で”理解”されたいという強すぎる”期待”と”甘え”がありました。原動力ではありましたが、いつも自分のエネルギーの多くはそこに取られ、本当に自分がほしかった”理解”や”家族””未来像”を手に入れるために適切な言動はできていませんでした。

人生の岐路
 27歳で弁護士の試験に合格した後も、地元で父と働くか、都内で就職するかで大きく揺れました。父とも何度も言い争いになりました。
 就活でも話すのをためらっていましたが、私が弁護士になったのは「”きょうだい児”だったから、”きょうだい”だから」がやはり大きく、「悔いのない決断をするために、可能性があることは何でもしよう」と考え、きょうだいの会に駆け込みました。

”きょうだい”にたどりつき、自分を見つけた


”きょうだい”の人生の先輩に出会えた
 正直、私の課題は後継娘問題、中途半端なエリート意識の燃え尽きなども重なっていたのできょうだいの会で適切な助言がもらえるかどうかは半信半疑だったのですが、話し始めてみると、すぐに「ずっと探していた場所だ!」「”きょうだい”としての生き方を教えてくれる場所だ!」とわかりました。
 もっと早く”きょうだい児”の時に出会っていたかったという思いとその時が私のタイミングだったのだという思いの両方があります。どちらにせよ、「これから」しかないのですが・・・!

私の選択
 ”きょうだい”にたどりつき、”普通の世界”で”普通の人”としてはもう十分頑張ったと思えました。これからは“きょうだい”として仕事をしていきたいと考えました。
 聴覚障害のある弁護士にも会いに行き、最終的には、地元で父と働く傍ら、”障害の世界”に関わり、狭間の中で”きょうだい”としての道を探していくという第3の選択をしました。結論ではなく、自分が納得できたことが大事でした。
 弁護士になってからも迷走は続きましたが、それはまた別の機会にお話します。ご関心がある方はこちらで少し話しているのでお読みください。

 私も7人の運営スタッフの一員として、都内を中心に開催しているきょうだいの会”ファーストペンギン”の参加者は150名を越えました。

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「”きょうだい児”だったから弁護士になった私」が今伝えたいこと



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当たり前だと感じる方もいるとは思いますが、最終的にこの”出発点”にたどりつきました。



きょうだい児だった私に伝えたい”出発点”
 私の場合は“将来の夢”と”進路”が大きなテーマでしたが、”きょうだい児”、”きょうだい”であってもなくても、自分の人生や幸せは自分で”選択”する権利があること、兄弟姉妹の扶養等を含め、親や周囲、社会からの”期待”は義務や強制でないという”出発点”を子どもの頃のきょうだい児だった私には伝えたいと思います。
 義務ではないということは、良い/悪い、正しい/間違い、許される/許されないではなく、自分の意思で自発的にするか/しないかを”選択”することが”出発点”だということです。もちろん、”きょうだい児”、”きょうだい”に限らず、全員がそうです。
 家族が互いに考えていることを知り、むりのない範囲で良い方向へ進めるよう一緒に考えていけるきっかけになる機会を親御さんのや趣旨に賛同して応援してくださる方のご協力をいただきながら企画中です。
 きょうだいも”期待”されるだけでなく、周囲や社会へ”期待”を持ち、適切な形で伝えていっていいのではないか、”きょうだい”が自分の思いや考えを自由に言える社会は誰もが生まれてよかったと思える社会につながっていくのではないか、と私は思うようになりました。

 ただ、現状を正直に言うと、私の家族を始め、周囲は”応援”半分、期待が外れ”がっかり”半分の方々が多いように感じています。家族にとって、私がいろいろと過去の出来事などを話すことは”迷惑”な話です。そして、これこそが多くのきょうだいがさまざまな形で経験する課題そのものの現れだと思います。きょうだいが言えずに我慢するのは単純におかしいと思います。また、言うことができれば、少しでも解決や調整につながることができるかもしれません。半分応援してもらえるなら十分ありがたいですが、どこまで周囲を”がっかり”させたり、”迷惑”をかけてもよいかは、最終的には、周囲とどのような関係を作りたいかによって、自分の態度や言動、相手への説明と傾聴の対話のさじ加減を自分が責任を取れる範囲で判断するしかしかないと思います。その分、多くの人がより良く幸せになれるような活動につなげていきたいと考えています。そのような意味で、これからも”期待”は裏切っていきたいです。

”兄弟姉妹の扶養義務”
 ”兄弟姉妹の扶養義務”は、民法の教科書的に説明すると、親の未成年の子に対する最後のパンの一片まで分け与えるべき生活保持義務とは異なり、自分を犠牲にする必要はなく、自分の身分にふさわしい生活をしてもなお余りがある場合に経済的な援助をする生活扶助義務にとどまります。身辺の世話は義務に含まれません。そもそも、諸外国と比較して、兄弟姉妹を扶養義務者とする立法例は珍しいようです。



ちなみに、結婚は弁護士になるよりも難しかった


結婚は”将来の夢”だった
 障害関係の仕事で出会った夫とは32歳の時に結婚しました。私にとっては、弁護士になることは基本的には自分自身の努力の問題ですが、結婚は相手があることで、その点でより難しいと感じていました。詳細はこちらをお読みください。

結婚は選択のひとつ、自分の求める幸せや未来のために
 結婚は、”きょうだい”であることを相手やその家族にどう伝えるか、将来設計など、他の人にはなかなか話すことができないきょうだい特有の大切な課題がつまっています。「きょうだいの私、結婚どうする?~リアルに語る結婚観~」(2018年11月10日)という試みも行いました。
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※追記
当日は100名以上のきょうだい、パートナー、親子の方々が参加、NHK645で放映していただきました。参加レポートはツッコミを入れながらお読みください(笑)。

きょうだいの私、結婚どうする?参加レポート(2019年1月1日公開)

NHKニュース 「わたしと結婚してくれますか?」(2019年1月18 日)

Sibkotoへの思いと可能性


単純ですが、インターネットってすごい
 私自身、きょうだいの集いに月1回程度参加していた頃に比べ、このSibkotoTwitterFacebookなどで“きょうだい”に関する多くの情報、ヒントや新しい気付き、支えをもらえるようになり、大きく変わりました。

いつかはSibkotoも1万人集まれば・・・!
 また、日頃、全国に会員数万人規模の障害者関係の団体の発言力、影響力を目の前で見ていると、「いつかはSibkotoも1万人集まれば・・・!」と思ってしまいます。障害のある先人の方々からは社会は良い方向に変えることができること、方法と課題、人生の深さとそれを面白いと楽しむことを教えていただきました。私の”きょうだい”としての活動についても「”きょうだい”の課題は”障害”の課題の本質だ」と応援いただいています。
 今は1万人!と言うと笑われていますが、平成29年度障害者白書の範囲だけでも、日本の障害のある方は約860万人。
 Sibkotoの対象とする”障害”はさらに広いので、“きょうだい”、“きょうだい児”という言葉、情報が必要な人や場所に届けば、数年間できょうだいの会員(無料 詳細はこちら)1万人は現実的な数だと私は本気で考えています。また、時代柄、おい、めい、いとこの方も歓迎しています。層が広がることで障害種別、地域、年齢、共有したい体験や気持ち、必要な情報やヒントなどの細分化したニーズにもマッチしていくのではないでしょうか。

毎日新聞 障害のある人と育った「きょうだい」へ 弁護士らが交流サイト(2018年12月19日)

「きょうだい(シブリング)のコトをきょうだいのコトバで語る」
 Sibkotoの運営者も、これまでのインタビュー(こちら)の通り、それぞれが異なる背景、思いや考えを持っていますが、話し合い、試行錯誤しながら運営をしています。Sibkotoシブコトの場を一緒に育てていただけたら大変ありがたいです。体験談の特集記事への寄稿や投稿(匿名も歓迎です)、こんなことを知りたい、やってみたいなどのリクエストをお待ちしています。

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Sibkotoは2018年4月にスタートして、半年後の10月にきょうだいの登録数が約300人、2019年10月には800人となりました




新たな”出発点” 迷わず、シンプルに


“きょうだい”を看板に 
 先日、”法律事務所シブリング”を立ち上げ、独立しました。”シブリング(Sibling)”は英語で”兄弟姉妹”という意味で、“きょうだい”を看板に掲げました。これからも「”弁護士”である前に”きょうだい”」です。
 
新たな出発点 
 きょうだいの先輩方がこれまで作り上げてくださった成果を受け取りながら活動できることにとても感謝しています。
 現在の流れとひとつひとつの機会を大切にして、迷わず、シンプルに進んでいきたいと思います。

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プロフィール・講演等の仕事依頼の連絡先はこちら

【Sibkoto編集部より】
 Sibkotoでは、きょうだい、きょうだい児(おいめい、いとこの方含む)についての体験談を募集しています(匿名での掲載可)。親御さんや家族、支援者等の立場の方も歓迎しています。体験談はタイトル、中見出しを含めて2000文字以上の文章とさせていただきます。体験談掲載希望の旨、お問い合わせページ よりお待ちしております。

※タイトルを「”きょうだい児”だったから弁護士になった私が今伝えたいこと」から「“きょうだい児”だったから弁護士になった私~周囲の期待と自分の進路・職業選択~」に改題し、掲載情報等の更新、加筆修正を行いました(2019年9月16日)。

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