2020 . 06 . 17
KHJひきこもり兄弟姉妹の会 担当者の体験や思い【前編】
KHJひきこもり兄弟姉妹の会の担当者の一人であり、ひきこもりの経験がある深谷守貞(ふかやもりさだ)さん。深谷さんの体験や思い、KHJ全国ひきこもり家族会連合会、KHJひきこもり兄弟姉妹の会の活動についてインタビューしました。【前編】では、深谷さんの経験やひきこもりにまつわるイメージや誤解等についてまとめました(担当:Sibkoto運営者 松本理沙)

深谷 守貞 さん (特定非営利活動法人 KHJ全国ひきこもり家族会連合会)
「特定非営利活動法人 KHJ全国ひきこもり家族会連合会」本部事務局所属 ソーシャルワーカー。社会福祉士。 (※プロフィールの詳細は、記事末尾をご覧下さい。)
深谷さんが「ひきこもり」になるまで
私は39歳の時から、約2年半ひきこもっていました。大学でソーシャルワークを専攻して、卒業後に福祉団体で働いていましたが、33歳の時に結構厄介な希少難病を発症したんです。日本に500人ぐらいしかいない免疫系の難病です。発症当初に色々な医療機関に行って診断や検査を重ねたのですが、全く原因が分からなかった。診断もつかないんです。「プシコ」っていう言い方をするんですけれど、当時、原因のはっきりしない患者は心身症とみなされて精神科領域を薦められることがあるのです。私も、デリケートな病気で心のところから症状が来ているのかもしれないから、と言われて精神科医の診察を受けるように言われました。
それで精神科に行ったら「うつ病」と診断がつきました。「仕事も休みなさい」と言われて休職をして、抗うつ剤や抗不安剤といった向精神薬を大量に服用させられたんです。確かに抑うつ状態ではあったけれど、今考えれば飲む必要のない薬なんです。でも当時はとにかく向精神薬でもってうつを治療していくという方針でした。それで体の不調を訴えると、もっと薬を増やされてという悪循環になっていくんです。あの当時は向精神薬も出し放題でしたし、うつ状態から気持ちをあげていくための強い薬も処方されたりしました。
強い薬を服用すると、もの凄い万能感に囚われたり、反動で気持ちが落ちてしまったりします。そういう不安定な状態で人と関わっていきますから、家族にも辛い思いをさせてしまいました。友人や職場の同僚も振り回したりして、周囲の人にもの凄く迷惑を掛けてしまったんです。そういう迷惑をかける自分が許せなくて、自分を責めてしまう。すると更に薬が増やされて、気分が上がって、また周囲に迷惑をかける。そんな悪循環の日々を繰り返していました。
そのうちに次第に囚われが強くなって幻聴や幻覚が出るようになります。当然、仕事にも行けないですから、結局、休職期間を使い果たして退職に至りました。迷惑をかけた妻とも離婚になってしまった。幻聴・幻覚でいきなり暴れ出したりもして警察の厄介になったこともありました。
そんな自分が嫌で嫌で、もうどうしようもなくなってしまったんです。生きていても仕方がない。自分は人に迷惑を掛けるだけの存在でしかない。それで、自死をしようと、駅でホームに飛び込もうとしたところ駅員さんに取り押さえられて、その時にたまたま実家と連絡がついて実家が身元引受人になってくれて、警察を通じて実家に搬送されたんです。それが39歳の時でした。
そこから実家で2年以上外に出ることができなくて、ずっと実家の部屋にひきこもってました。