2020 . 04 . 17

親亡きあとの今、母への思い[寄稿]

統合失調症の次兄がいる赤岩綾さん。お母様への思いや、統合失調症がある人のきょうだいを対象とした「一般社団法人まめの会」設立の背景等について、寄稿して頂きました。

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赤岩 綾 さん  (一般社団法人まめの会代表)

1966年生まれの53歳。税理士・公認会計士・精神保健福祉士・一般社団法人まめの会代表。2015年からまめの会で統合失調症患者さんのきょうだいのための勉強と分かち合いの会「まめぜみ」を4月と12月を除く毎月最終日曜日に開催中。すでに30回以上。
2019年3月精神保健福祉士国家試験に合格し、日本福祉大学(通信)を卒業。写真は関西地域の「卒業をお祝いする会」での1分間スピーチの様子。

私はそれをオリンピック命日と呼ぶ


東京オリンピックは残念ながら1年延期となりましたが、この2020年というオリンピックイヤーを、また違う意味で私たち家族は迎えていました。私の母は2008年2月29日にすい臓がんで亡くなりました。「本当の命日」がくるのは4年に一度のオリンピックイヤー。

葬儀・告別式のあと、統合失調症の次兄は法事の日になると、プレッシャーなのか決まって不穏になり列席できませんでした。2020年のオリンピック命日は十三回忌と重なるので特別!次こそは次兄も列席させたいと1年前から「来年は十三回忌」と予告し、心の準備をするように次兄に言い続けました。そして、91歳の父も一緒に十三回忌法要を無事執り行うことができました。そう、父は健在です。でも施設に入居しているので親亡き後と同じです(許せ、父よ)。

次兄にとって母は唯一の心のよりどころでした。母しか頼る人がいなかった。その証拠に、母が亡くなった後ほどなく次兄の症状が再燃しました。

「絶対あんたには迷惑をかけへん」の言葉も・・・



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5~6歳の頃の私と5歳年上の次兄。この頃は何の心配もなかった。



兄二人と私の三人兄弟(妹)。5歳ずつ年が離れているので長兄とは10歳違い。また、私は父方母方両方のいとこの中でも一番年下で、みんながかわいがってくれました。平凡ながらそれなりに幸せに暮らしていましたが、私が中学一年生の時、高校生だった次兄が統合失調症を発症し家庭内は激変しました。そこからの40年はちょっと長過ぎて書けないのでバッサリ削ります(笑)。

母のことを書きましょう。関西弁まじりになりますがご了承ください。次兄発症後から亡くなる直前までに母はやはり変わっていきました。非協力的だった父・・母はひとり奮闘しました。発症して数年のころ母は「絶対あんたには迷惑をかけへん!」と言っていました。「私が死ぬ時あの子も連れて行く。」とも言っていました。そう言われて10代の私は苦しかったことを覚えています。

次兄20代のころ、母が親戚に相談して紹介してもらった作業所に数年通っていましたが、30代、40代は特に何をするでもなく過ぎました。

父はもともと非協力的、母も自分の人生を楽しまなければ!というところがすごくあり、スキーや旅行に行きました。退職後も病院へボランティアに行っていました。難病の方のお手伝いでした。「ボランティアもいいけど、自分の息子どうすんねん?」とずっと思っていました。

私は焦りました。このままでは、私が次兄の面倒を見なくてはいけなくなる!(10歳年上の長兄は次兄が発症する前に大学進学のため東京へ。以後ノータッチ。)

私20代後半あたりか・・次兄をどうするのか?と質問すると、母は逆切れするようになっていました。

「ほな何か?あの子を施設に入れろちゅうんかっ?」

このままでは私が見ることになるやん、あんたには迷惑かけへんってゆうてたくせに!という意味のことを言うと「結局はそうなるしかないやろ?現実問題としては。」と答えました。ひどい話です。両親が家族会に参加する、統合失調症について勉強する、そんな姿をついに見ることはありませんでした。

そして、母が2007年にすい臓がんになって、来る時が来たと思いました。亡くなる数カ月前、母に「悟(次兄)のこともなんとか考えんとあかんなぁ。」と言うと母はこう言いました。

「悟?ああ・・悟はもう私の手から離れた。」

椅子から転げ落ちそうになりました。関西の方、よしもと新喜劇のあの感じです。

(えっ?いつ手離した?当の次兄は離されたとは思ってないよ?)心の中で言いました。

おそらく母は自分が死んでいくのに精一杯だったのでしょう。また、元気なころから素直でないところがありました。母は最期まで私に対して次兄をよろしく頼むとは言いませんでした。

『迷惑かけへんつもりでいたのはほんまやけど、がんばったけどアカンかった。悟のこと頼むな。ほんまごめん。』

そう素直に頼んでくれたらどれだけ私は救われただろうか・・と思います。母亡き後、決して私に対してお願いも詫びもしなかった母への不満が日に日に湧いてきました。しかたなくバトンタッチした父も暢気で私自身もメンタルをやられかけ、過食嘔吐がやめられない日々がありました。今、50代60代の親を持つきょうだいに「今対応をしようとしない親御さんが、70代80代になって親亡き後に向けて動くと期待することはできない」と言いたいです。きょうだいも知識を得て欲しいと思います。

まめの会立ち上げから始まった私のリカバリー


私が「まめの会」を立ち上げたのは、どこにもやり場のない自分の気持ちを抑えるためでした。自分のような思いをするきょうだいを減らしたい、きょうだいのため少しでも役に立つことができれば自分の経験が意味あることになると思ったからです。父が高齢になり、ひとり暮らしの次兄を訪ねて掃除洗濯等を手伝い始めたころでした。それは次兄が発症してから実に35年目のこと。症状再燃後(保護された次兄を警察署に私が迎えに行って)から6年ほどたっていたので、最初は次兄を訪ねるのも恐る恐るでした。

それから5年、精神保健福祉士資格も取得しこの原稿を書いている今、社会福祉士の登録待ちです。最初は自分の気持ちの落としどころを探すためのきょうだい会でしたが、活動の中で多くのきょうだいと出会い、資格を目指す大学(通信)でも多くの出会いがありました。世界が広がりました。これ、次兄のおかげなのですよね。そして、週1~2回次兄を訪ねる中で、次兄と向き合えるように自然となっていきました。

でも・・この話を、20年前の私が聞いても響かなかったと思います。10年前でも。40年という時間が私には必要でした。だから今、辛い思いをしているきょうだいに、私の話がすぐに役立つとは思いません。統合失調症のご本人だけでなく、家族も回復(リカバリー)する必要があるのです。それには時間も必要と思います。

次兄が発症した時の母の年齢を超え、母にも支援が必要だったと思えるようになりました。これからは精神保健福祉士として社会福祉士として、親御さんやご本人の支援もしていきたいと考えています。それがきょうだい支援につながると思うからです。

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今年1月、母校の地域学習会「精神・発達障碍のある人の『きょうだい』のストレングス、しんどさ、そして自己実現」では、他のきょうだい2人とともにゲスト講師を務める。向かって右は次兄が引き合わせてくれた恩師 青木聖久先生。




一般社団法人まめの会
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【Sibkoto編集部より】
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