2020 . 01 . 25

福岡きょうだい会運営者の体験や思い

福岡きょうだい会の代表であり、妹に知的障害と自閉症がある工 弥姫(たくみ みき)さん。工さんの体験や思い、福岡きょうだい会の活動についてインタビューしました(担当:Sibkoto運営者 松本理沙)

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工 弥姫 さん  (福岡きょうだい会 代表)

1983年生まれ。福岡県福岡市出身。准看護師、介護福祉士、保育士。発達障害支援アドバイザー協会認定講師。強度行動障害支援者養成研修修了。2016年9月、福岡きょうだい会を立ち上げ、活動している。

家族について


現在は、夫と娘の3人で暮らしています。妹が2人いるのですが、すぐ下の妹に、重度の知的障害と自閉症があります。障害のある妹とは年子なので、今35歳ですね。両親と一緒に暮らしています。あと、14歳年下の、22歳の妹もいます。22歳の妹は、同じ市内ですが少し離れたところに住んでいます。

親の希望が強くて、私は実家の近くで生活することになりました。徒歩5分の距離です。何かあったらすぐに、私たちも手助けできるし、お互いその方がいいよね、みたいな話になって…。夫に理解があり、了承してくれています。

幼い頃の記憶


幼い頃の記憶で覚えていることは、妹が療育施設に通園していた頃に、親と一緒に見学に行った時ですね。そこで妹がおかしいって分かって。周りの子どもたちの様子を見て、「あれ?うちの妹、ここに行かなきゃいけない状態なの?」って気持ちになりました。そこで初めて、「ああ、違うんだ。私と一緒に幼稚園に行けないんだ」と気付いたんです。

妹が自閉症と分かってから通園施設に通うまでそんなに間は空いてないんですけど、そこから私がおばあちゃんに預けられることが頻繁になっていって。それで、「あれ?何でお母さんと妹は一緒なのに、私は別なんだろう?」みたいなことはありました。

おばあちゃんちから近い幼稚園に通っていたし、お迎えもおばあちゃんだったりしたし。私自身も、結構自立してたので、その当時から「おばあちゃんちに泊まりに行くね」って自分から言ってたこともあるので、離れてた。その時、すごい離れてた、っていうのは印象に残っています

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3歳の頃の工さんと妹さん



障害について説明できなかった


小学校に上がってからも、妹と一緒に公園とかで遊んでました。自分としてはいつもの妹なので変わりないんですけど、周りから「お前の妹、変」と言われたり、「お前も変」とも言われて。妹のことで私も標的になって、こんな風に言われたりするんだなって思いました

妹のことで一番印象が強かったのは、公園で、トイレではない場所でお手洗いしてしまったことです。それに対して、「お前の妹、トイレしてるよ」って言われて。親が来て、妹にすごい怒ってるのを見て、「やっぱりお前の妹、変」と、そういう行動とかで言われて。それプラス親の親族から、「あそこは障害があるから」みたいなことをコソコソ言われてきているのですが、それをこっちにそのまま言ってきたりもしていました。

「変だ」って言われるのが割と続いて、それが私へのいじめの発端になりました。学校の中でも孤立していくような感じになってしまって。それが問題に上がった時、小学3~4年生の頃だったんですけど、学校の先生から「妹さんの障害について、みんなの前で説明して下さい」って言われたんですよ。「私もはっきりは把握できてないから、あなたが自分でみんなに説明して」って

私もあんまり分からなくて、説明のしようがないのに。親からきちんと聞いたこともないし。妹に障害があるんだってことは分かってたけど、はっきりとした説明は聞いてないから話せないのに、話せって言われて…。結局、みんなの前で説明できずに変な感じに終わっちゃいました。

今考えると、辛かったですね。先生は、私から話してもらうことで、みんなに理解してもらって、いじめられている状況をなくそうとしてっていう意図だったと思うんですけど、そこを丸投げされちゃったので…。

後々、私自身も、小さい頃からちゃんと親に聞いとけば良かったなぁと思いました。ちゃんと理解しといたほうが良かったなぁって。なんか変にあやふやになっちゃってたので。ただ、聞いちゃいけないタブーなものなのかなっていう気はしてたので、あえて聞くことはなかったですね。やっぱり、母が妹のことをすごい隠してる姿を見てたので。でも、反面、母がやっぱり妹と関わらなきゃって頑張ってたりとか、毎日毎日公園に連れてって、へとへとになりながらやってるのを見てて…やっぱりそこに関しては触れちゃいけない部分なんだろうなって、小さいなりに思ってたと思います

父の無理解


父は、海外単身赴任中だったので、ほとんど日本にいなかったんですよ。なので、ほとんど母1人でっていう感じでした。父は、私が高校生の時くらいまでは、1か月2か月単位で家にいないこともある状態でした。私が生まれた頃とか、妹が生まれて2~3年間は海外に行ってたので、小さい頃は家にいなかったですね。

父にとっては、子どもが大きくなった頃に帰ってきたら、妹が障害者だったので、結構怒ってて。自分に理解できないので、協力的ではなかったです。

父は、自分の子どもに障害があるって言われたことに対して、自分の中で受け入れきれなくて、「そういうことを言うやつはバカだ、何を言ってるんだ」と言って怒っていました。それに、母親のせいにもしていて…「母親自体が原因じゃないか、関わり方が悪いんじゃないか」って昔言っていたので、そのこともあって、母が結構追い込まれてたっていうこともあるかなとは思います。

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