2019 . 07 . 07
兄がいたからこその出会い[寄稿]
知的障害と身体障害の兄がいる山口翔太さん。山口さんの子どもの頃の体験や、会社を休職していた頃の出会い、退職してグラフィッカーとして働くことを決めた経緯などについて、寄稿して頂きました。

山口 翔太 さん (トーク・グラフィッカー)
1993年生まれ。トーク・グラフィッカーとして、声が生まれるきっかけ、グラフィックを活用したより良い”場”をつくりたいと、フリーで全国活動中。
グラフィックファシリテーション・グラフィックレコーディングを用いて、話し合いをその場で、グラフィック化し、グラフィックを話し合いの活性化、想いの確認、合意形成のためのツールとして活用している。会議、セミナー、シンポジウム、講演会、座談会、ワークショップ、など幅広い分野・業界で導入中。
https://talk-graphic.jimdofree.com/
障害をもつ兄のことを文章にすること
少し迷いました。北陸きょうだい会さんから、グラフィックのご依頼をいただいたこともあり、きょうだいという立場について、考えることはあります。しかし、私自身そこまで兄の障害のことに悩んでいないというのが本音です。将来のことも、相談できる人が周りにいますし、どうにかなるかなと、気軽に考えているからです。こんな私が、文章を載せてもいいのかと思いました。しかし、いろんな人がいるように、いろんなきょうだいがいます。後でお話しますが、私はちょっと変わった仕事をしています。その仕事を選んだきっかけや、人との出会いの根底に兄の存在があります。なので、幼少期から現在までを振り返りました。一つのお話として、読んでもらえると嬉しいです。
お兄ちゃんだけど弟のような

4歳のころ
3人兄弟で、5歳上に双子の兄がいます。片方は健常者で、片方は重度の知的障害と身体障害を持っていて、車いすで生活しています。養護学校の高等部を卒業後、実家で暮らしながら富山型デイサービスと、障害福祉サービス事業所を利用しています。物心ついた時から、知的障害を持ち、あどけない兄は、兄でありながら弟のような存在です。兄がパニックを起こすこと、兄の面倒を見ることも、日常で、そこまで疑問に思ったことはありません。兄が障害者だと、いつ認識したのかも、覚えていません。
他人に、兄の存在を伝えること

大学に入学した頃
小学校、中学校までは、友人に兄のことを伝えることはしませんでした。へそ曲がりの性格なので、中学生くらいに話しても、理解できないでしょ!!と内心思っていました。(自分も中学生なのに!!)
しかし、隠すことが面倒になり、高校くらいからは、仲良くなった友人には、話すタイミングがあれば、話していました。ありがたいことに、友人たちは「そっかぁ」と受け流してくれる人が多かったです。このとき、他人の家族のことって、そこまで興味はないのだなと、気が楽になったことを覚えています。そんなこともあり、大学では、家族の話になれば、「兄は障害をもっていて・・・」と話していたと思います。
でも、一度だけ兄の事を同級生に言われたことがあります。中学生の時です。たまたま休日で家族と一緒にいる兄を見た同級生が、私に「どんまい」と言ってきました。何がだよ!!と、ものすごくカチンときました。でも相手が、ガキ大将的立ち位置の子だったので、「そっか」としか言えませんでした。今思えば、あの子も障害ってものを知らないだけだったのだろうなと思います。
兄がいたからこその出会い

加藤さん、水野さんと
大学を卒業して、地元富山の企業に就職しました。社会人3年目の春に、将来の自分のことに悩み、会社を休職しました。今まで、兄のことを気にかけたことはそこまでなかったのですが、休職したときは、「兄がいるのに、面倒をかけて、ごめんなさい。」と思ったことを覚えています。やっぱり気にしてたんだなぁと思いました。
休職して3週間がたった頃、母親から「こういう人がいるけど、相談に行ってみない?」と水野カオルさんを紹介してもらいました。水野カオルさんは、Swimming for allの会(障害(主に身体あるいは重度の障害)のある人とその家族のみなさんが水中活動を楽しむ会)の主宰をしていて、兄も参加していたので、母親とは知り合いでした。親の紹介で人に会いに行くなんて、最初は躊躇しましたが、人に会わないと何も変わらないのでは??と考え始めて、相談に行きました。水野さんは、加藤愛理子さんと2人で一般社団法人Ponteとやまを設立し、その活動の1つとして、みやの森カフェ(障害者、健常者、老若男女が集まる変わったカフェ)を経営しています。みやの森カフェで、水野さん、加藤さんとお会いして、自分のことを話しました。このとき、加藤さんは妹、水野さんは姉が障害をもっている、きょうだいであることを知りました。行くところがなかったので、休職中、みやの森カフェにたくさん行きました。加藤さんは、「いろんな人に会いたい」と言う私に、多くの人を紹介してくれました。そんな中で、少しずつ、将来のことを考えられるようになり、会社を退職する選択をしました。
休職中、家族は何も言わず見守ってくれたのですが、兄だけは「いつ仕事に行くの?」と聞いてきて、イライラしました。でも、弟の日常が変わったことを、兄なりに感じていたのだと思います。
きょうだいについて、加藤さんの一言ですごく印象的な言葉があります。「山口君も、きょうだい児だから、物事をまっすぐ見ずに、どこか斜めに見るよね。」人によっては、この言葉は賛否がありそうですが、私にとっては、すごく嬉しかった言葉です。「あなたも一緒だね」という言葉が嫌いです。大多数の人と決定的に異なる兄を見てきたからか、一緒というくくられ方が苦手でした。でも、こんな風に、斜めに見てしまうからこそ、この言葉はなんだか嬉しかったです。きょうだいのことで、嬉しいと思ったことは、初めてでした。