2019 . 07 . 16

障害のある家族をもつ私たちのこと:CODA(コーダ)の立場から[寄稿]

聴覚障害の親をもつ聞こえる子ども「コーダ」(Children of Deaf Adults:CODA)であり、J-CODA(コーダのセルフヘルプ・グループ)の活動、コーダの研究に取り組んでいる中津真美さんに、 「きょうだい(きょうだい児)」と「コーダ」、「障害者家族」に共通する点を取り上げて、お話していただきました。

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中津真美さん  (J-CODA、東京大学バリアフリー支援室特任助教)

ろう者の父と聴者の母をもつコーダ(聴覚障害の親をもつ聞こえる子ども:Children of Deaf Adults:CODA)。J-CODA(コーダのセルフヘルプ・グループ)所属。東京大学バリアフリー支援室にて、障害学生・教職員の支援コーディネーターとして従事するかたわら、主にコーダの視点から「聴覚障害のある親と聞こえる子どもの親子関係」に関する心理社会的発達研究に取り組む。生涯発達科学博士。

コーダって?


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聴覚障害の親をもつ聞こえる子どものことを「コーダ」(Children of Deaf Adults:CODA)という名称で呼ぶことがあります。ここでは私も、「コーダ」という言葉を用いることとします。
 

はじめに


“きょうだい”と同様に、コーダもまた、家族に障害のある構成員が存在する、いわば「障害者家族」です。“きょうだい”の中でも、「ソーダ」(Sibling of Deaf:SODA:聴覚障害のきょうだいをもつ聞こえる人)とは、かなり近い存在かもしれません。コーダであってソーダでもある人(聴覚障害の親ときょうだいをもつ聞こえる人)も、実際にいますしね。

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(左)コーダの中津真美さん、(右)ソーダの藤木和子さん



ここでは、 “きょうだい”と“コーダ”に共通するであろう点を取り上げて、私が実施したコーダの調査研究の結果と、コーダとしての実体験をもとに、障害者家族の固有性と、揺れ動く複雑な感情の有り様をお話してみたいと思います。

家族をサポートする役割を担う


“きょうだい”のみなさんの中にも、障害のあるきょうだいのサポートや、家事やおうちの用事など、小さい頃からなんらかの家庭内の役割を担ってきた人は多いのではないかと思います。コーダの場合は、聴覚障害の親のために、幼少期から通訳を担うことがあります。

以前、コーダ104人を対象に、実態調査(中津・廣田, 2018)を行いました。そこでは、コーダが幼少期から頻繁に手話などによる通訳を担ってきた現状が、明らかになりました。
research map https://researchmap.jp/nakatsu666/
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でも、よくよく考えてみれば。一般に、手話通訳技術というのは、大人が一生懸命に頑張って、何年もかけて養成講座に通ったりしながら習得していくものですよね。ですが、コーダは、まだ手話を十分に習得していない頃から、親に音情報を伝えるのです。

私の場合、私の親も、祖父母も、親戚などを含めた周囲の人たちも、みんな、聞こえる私が通訳をすることは当然という感覚でした。だから私も、自分が通訳をすることは、物心ついたときからの、当たり前の感覚でした。「祖父母や親戚も聞こえるのに、なんで子どもの私に通訳を委ねるの?」って、今ならその違和感に気づけるのですけどね。子どもだった私には、そのことに気づくことができずに、親をサポートする使命感をもったまま大人になっていきました。

子どもらしくない、どこか大人びた子ども


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親への通訳の役割を担うコーダには、よく周囲の人たちから、かけられる言葉があります。
「大変だね。」「かわいそうに。」「あなたには障害がないのだから、あなたが頑張らなきゃね。」「あなたが、しっかりしなきゃね。」「あなたが、守ってあげるのよ。」 「すごいね。」「えらいね。」
“きょうだい”のみなさんも、身内や周囲の人たちから、このような言葉を投げかけられた経験はありますか?

 
このように、周囲の人たちからの同情や、過剰な期待を受けて、さらに頑張るコーダがいます。たとえば、親に通訳をすることを通して、大人とのやりとりの場面に立ち会い、少し早く子ども時代を諦めてしまう感覚をもつコーダたちもいます。

「自分は、まわりの友達とは違うと思い続けてきた。」「大人びた子どもだった。」「なんか近寄りがたいって言われていた。」このことは、実証されているわけではありませんが、国内外の多くのコーダに共通する語りです。子どもらしくない、どこか大人びた子どもだった、と自己を振り返って語るコーダに、これまでたくさん出会ってきました。“きょうだい”のみなさんにも、共通する感覚なのではないかと思います。

「いい子でいようと頑張り続ける」という生きづらさ


このように、他の友達とは少し違う経験を重ねて成長していく子どもは、どうなっていくのでしょうか。コーダの場合は、通訳を頼まれることをポジティブに捉えて、その期待に応えることで自信をつけて成長していく子どももいます。聞こえない親が大好きなまま大人になっていくコーダもいます。
ただ、中には、親や周囲の人たちからの過度な期待を受けることで、しんどくなって、爆発してしまったりするコーダや、期待に応えるべく、いい子でいようと頑張り続けるコーダもいます。強い責任感のもと、いつも張り詰めた気持ちを持ち続けます。親を助けないことは親不孝だと思って、全ての責任を自分で背負い込もうとしたり、「あの子は、障害のある親の子どもだから、仕方ないね。」と周りの人たちから言われたくなくて、限界まで頑張ったり。そして、そのために、ときにいろんなものを犠牲にします。

いい子でいようと頑張り続けてきた“きょうだい”の方々も、いるのではないかと思います。問題なのは、その状態って、いつまでも続かないのです。すっかり大人になったコーダや“きょうだい”は、なにかの拍子に、ふと思ったりするのです。
「あれ?自分ってこんな感じで生きてて良いんだっけ??」と。そして、気づきます。「これって、何か違う」と。


そうなると次に、今まで長い間築いてきた価値観とか、やり方とかを否定するモードに突入してしまいます。実は疲れ果てている自分にも気づきます。でも、もう今さら変えられない。逃げられない。今さら「もう無理」って言えないし、かといって、これ以上頑張りきれない。これって、そうとうなストレスなのです。
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ちなみに。私の場合には、頑張り続け、親を支え続けている(と自分が勝手に思っていた)まさにそのときに、親が亡くなりました。ある日突然、支える対象がいなくなり、自分の存在意義を確認する術を失ったのです。それ以降、親以外の、他の何かに依存しても、しっくりこず、モヤモヤしたまま、ときが過ぎました。数十年が過ぎましたが、モヤモヤした気持ちは、未だに拭えずにいます。それは、もう仕方がないのかもしれません。

大人になってもなお、生きづらさを感じる。 “きょうだい”のみなさんと共通する部分も、多分にあるような気がしていますが、いかがでしょうか? “きょうだい”とコーダ、ともに、課題として、取り組んでいきたいと思っています。
 

家族なのに会話ができない???


ここからは、“きょうだい”でも、とくにソーダ(聴覚障害のきょうだい)とコーダの共通点に触れます。コーダもソーダも、主たるコミュニケーション手段が異なる家族が、家庭内に存在するのです。

コーダ104人に尋ねたアンケート 「親とどのくらい会話ができますか?」という質問に対して、「問題なく会話できる」と回答したコーダは48人でした。次いで、「だいたい会話できる」という回答は49人、「あまり会話できない」が7人でした。
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この数字を、どうみるか。
親と「問題なく会話できる」と感じているコーダよりも、程度の差こそあれ、親とスムーズな会話には至らないと感じているコーダのほうが、若干多いということが見て取れます。聞こえる親子であれば、たとえば子どもが反抗期だから親子で会話ができない、などといった場合はあるかもしれませんが、親子で会話が通じないことは、まずないですよね。コーダの場合は、そもそも親と、親子なのに会話の成立に困難をきたすことがあるのです。もちろん、手話が堪能なコーダもたくさんいますが。

実際のところは、手話があまりできないコーダでも、それなりに親と会話しているようです。親子の会話というものは、それほど意外な話題がでることも少なくて、そこそこ推測がつくし、そもそも親子なのだから、お互いのことは十分に分かっている、だから会話はなんとなく成立するのです。でも、複雑で深い話は、難しいのです。

コーダの成長に伴って、親子の会話は複雑で深いものになります。親子であっても、会話が通じない。

私の父は既に他界しましたが、私は父が本当はどんな性格だったのか、どんな考え方をする人だったのか、何が好きで何に興味があったのか、答えられないことに気づきました。父とはもちろん毎日、一緒に生活をしていましたが、「ご飯」「お風呂」などといった、簡単で単純な会話はしていたものの、心、気持ち、感情などが深く絡み合うような会話は、ほとんど無かったように、今となっては思います。
父のことが大好きで、愛情をたっぷり注いでもらって育っただけに、後悔しています。
家族にとって、苦しい現実が、そこにあります。

セルフヘルプ・グループの必要性


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現在の日本では、障害のあるきょうだいや、障害のある親など、障害のある当事者への福祉制度は整備されています。けれども、“きょうだい”やコーダといった、障害者家族へのサポートは、みられない状況にあります。障害のある人を“個”で支えるのではなく、障害のある人の“家族”をひとつの単位として、支援がなされていくことを切に願います。
“きょうだい”とコーダ、ともに声を上げ、障害者家族支援のしくみ作りの必要性を求めていきませんか?

現時点では、セルフヘルプ・グループが、私たち障害者家族の心のよりどころのひとつになっているように思います。セルフヘルプ・グループとは、決して障害者家族全員にいつも必要なわけではないけれども、必要なときに、必要な人が、すぐにアクセスできるような形で存在していることが大切だと思います。
“きょうだい”にも、セルフヘルプ・グループが存在しているように、コーダにも「J-CODA」などのコーダの会があります。J-CODAは「聞こえないきょうだいをもつSODAソーダの会」とも、交流しています。

J-CODA(聴覚障害の親をもつ聞こえる子どもの会)
https://ja-jp.facebook.com/japancoda/

〔セルフヘルプという力〕聞こえない親を持つ聞こえる子ども(コーダ)の存在を知ってほしい J-CODA
https://www.tvac.or.jp/nw/
東京ボランティア・市民活動センター 「ネットワーク」359号(2019年4月号)

聞こえないきょうだいをもつSODAソーダの会
https://soda-siblings.jimdofree.com/

コーダは、セルフヘルプ・グループで他のコーダの仲間と出会い、経験を分かち合いながら、「聞こえない親をもつ子どもは自分だけじゃない」と知って、自分を見つめなおすようにもなります。そしてコーダは、なんとも逞しいことに、これまでの自分の生い立ちを全て丸ごと受け入れて、ある意味「前向きに」諦めて、過去をよい経験だったと振り返るようになったりもします。私はコーダだ、コーダでよかった、と思うようになっていきます。

最後に、私の大好きなデータを紹介します。コーダ104人に尋ねたアンケート結果です。「聞こえない親をもった私だからこそ、できることがある」 すごく思う48人、ときどき思う44人。
コーダのプライド、といったら大げさでしょうか。
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人は、大人になっていくに従い、アイデンティティが確立されていきます。アイデンティティが確立された人は、確立されていない人より強く生きることができる、生きることに踏ん張れる、と私は思っています。

私たち、こう思ってみるのは、どうでしょう。
「私といえば、障害者家族」 「障害者家族といえば、私」
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<参考>


コーダの詳細については、私が運営しているHPやblogをご覧いただければ嬉しいです。
【ホームページ】「コーダのページ」
https://marblemammy.wixsite.com/coda-and-parent
【ブログ】 「コーダとスクーター」
https://ameblo.jp/marblemammy/entrylist.html

その他、コーダを知るには、澁谷智子先生のHPと、書籍「コーダの世界」が、おすすめです!
【ホームページ】 「澁谷智子のホームページ」
http://shibuto.la.coocan.jp/
【書籍】「コーダの世界」
https://www.igaku-shoin.co.jp/bookDetail.do?book=62828

Sibkoto編集部より


【関連イベント】
家族みんなでカンガエルー(2019年7月28日)
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開催レポート
https://www.infogapbuster.org/?p=3193

【(追記)コーダに関する記事】
毎日新聞 聴覚障害者の子、悩み共有 「不良」の偏見が父母苦しめ(途中から有料記事)
https://mainichi.jp/articles/20190128/k00/00m/040/257000c

朝日新聞 聴覚障害者の子、「いい子」の重圧 優生保護法の「影」今も(途中から有料記事)
https://www.asahi.com/articles/DA3S13988656.html

ハフポスト 耳の聴こえない母が大嫌いだった。それでも彼女は「ありがとう」と言った。
もしかすると、ぼくは母親の胎内にいたとき、国に“殺されて”いたかもしれない――。
https://www.huffingtonpost.jp/entry/coda_jp_5d11f333e4b07ae90da3989e

ハフポスト 耳の聴こえない親を持つ子「CODA」は可哀想なのか。研究者が直面した現実(澁谷智子先生インタビュー)
CODA。どうやらろう者の親を持つ健聴の子どもたちは、そう呼ばれるらしい。
https://www.huffingtonpost.jp/entry/coda_jp_5d9681a0e4b02911e1182867

ハフポスト 耳の聞こえない両親と生きた娘の後悔「私たちは、どのくらいお互いのことを理解できていたんだろう」
障がい者だけが障がいの当事者なのだろうか。障がい者の子どもも、親の障がいと生きている。
https://www.huffingtonpost.jp/entry/coda_jp_5d58001ce4b0eb875f247f5b

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