2019 . 03 . 05

伊丹きょうだい会運営者の体験や思い

伊丹きょうだい会の初代会長であり、知的障害のある姉がいる笹尾照美さん。笹尾さんの体験や思い、伊丹きょうだい会の活動について寄稿して頂いた文章を元に、特集記事としてまとめました。(担当:Sibkoto運営者 松本理沙)

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笹尾 照美 さん  (伊丹きょうだい会 初代会長)

1949年生まれ。伊丹市手をつなぐ育成会会員。2013年、育成会理事だった時に「伊丹きょうだい会」の設立に携わる。2016年「KGきょうだい会」(関西学院大学のきょうだい会)の設立を援助。現在、大学院に在籍し、「障がい者の兄弟姉妹による“ケア”問題」をテーマとした論文を執筆中。「書き終えたら普通のおばあさんになりたいです」とのこと。

姉とともに


姉は重度知的障がい者(療育手帳A)であり、4年前に大腸癌のために68歳で亡くなりました。岡山県の田舎で生まれ育ち、姉の幼稚園の送り迎えをするのは私でした。私が小学2年生の時に兵庫県伊丹市に良い特殊学級があるとのことで引っ越しました。この時から特殊学級へ姉を送っていくのは私の役目になり、毎日道中で悪童達に石を沢山投げられました。これは3年生の時まで続き、私にとっては辛い出来事でしたが姉はそれほど怯えている様子はありませんでした。

姉は比較的おとなしく、歌を歌うのが好きでした。歌詞は理解できませんでしたが音感も音程も良かったので、音楽教育などのサポート体制が整っていればもっと生活の質が高い人生が送れたのではないかと思われます。

伊丹市手をつなぐ育成会(親の会)創成期のスローガンは「親亡き後に、伊丹市内に、終の棲家を!」でした。設立時からの会員であった母達はバザーやたこ焼きを売るなど必死に頑張っていて、このスローガンは耳にたこが出来るほど聞かされました。また親たちは「子どもより1日だけ長生きしたい」と言っていました。

進路選択、結婚、子育て


大学受験の際に親から近くの学校にして貰いたいと言われて仕方なく妥協しました。結婚の時に、姉の存在を理由に相手の親から猛反対されましたが、何とか結婚式に出席してもらえました。姉は結婚式に出席したい様子でしたので思案していたところ、姉が通所していた市立さつき学園(1969年設立、生活介護事業所)の職員さんが付き添いを申し出てくださったため何とか出席できました。姉は親たちの運動で作られた学園の第一期生として学園のバスで通所していました。その後私には子どもが2人生まれましたが、子どもたちが泣くのをみて姉は泣くことを学習し、泣くことによってストレスを解消するようにもなりました。

親亡き後、成年後見人に


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笹尾さんのお姉さんについて(第5回全国手をつなぐ育成会連合会全国大会の報告資料より一部抜粋)



父は既に早くに亡くなり、2003年に母が86歳で亡くなった時に、姉は57歳で私は54歳でした。両親が亡くなり、姉と同居することになりましたが、伊丹市で初めてのケースとして検討会が開かれました。障害福祉課職員、市立さつき学園園長及び担当職員、社会福祉事業団(姉のヘルパー派遣)が集まって検討し、一時的に破格のヘルパー時間をつけてくださったのをとても有難く思いました。姉はヘルパーさんにも馴染み、私は共働きを続けることができました。

私は母の跡を継いで育成会会員となり、2013年から2年間理事を務めました。また、育成会会員になると同時に、姉の成年後見人にもなりました。経験してみて、親族後見人は利益が相反することもあり、第3者後見(中でも法人後見)が望ましいと思いました。

入所して、安心したのも束の間


2007年4月には伊丹市で初めての入所施設ができて、姉は入所しました。この年秋に娘が結婚しました。姉が何処にも預けられなかった時に、私はどのような形で娘の結婚式に出席したものか思案していましたが、入所したお陰で安心して出席できました。

しかし、入所施設は、約3年限定の「通過施設」でした。高齢で重度知的障がい者なので、妹として、母の後を継いだ成年後見人として地域移行には反対しましたが、本人や家族の意向よりも地域移行を優先するという考え方のもと、強引に同じ系列のグループホーム(最初はケアホームで途中から一元化)に出されました。そして日中は多機能型事業所へ施設の車で送迎されました。

姉は63歳頃より既に老化が始まり今迄出来ていた作業が次第に出来なくなっていきました。国立のぞみの園の見解によると、知的障がい者は健常者より10~20歳早く高齢化すると言われますが、この時期に、作業に限らずのんびり過ごせる対応が始められる必要があったと考えます。またグループホームは地域との交流はなく、河東田博氏が言うように「ミニ施設」の状態でした。

姉の余命が告げられた後


2014年に大腸癌が見つかり、17年来の主治医から余命1年と告げられました。主治医は生活の質を考えると、まだ暫くはグループホームで過ごすほうが良いとの意見でした。しかし平日毎日は通えなくなったら、グループホームからも生活介護の作業所からも出ていくように言われました。

そこで再入所申請をしましたが、通過施設であることを理由に却下されました。この頃に姉は介護保険要介護3でしたので特養のショートステイを試みましたが、相談支援専門員とケアマネさんから重度知的障がい者の市内初めてのケースと思われると言われました。ショートステイ先では一般の高齢者の中で、姉は浮いている感じでした。

グループホームから出ていく先として、特別養護老人ホーム・サービス付き高齢者向け住宅・有料老人ホームを調べてまわりましたが、知的障がいを理由に殆ど断られました。しかし一ヶ所の有料老人ホームが受け入れてくれました。そこでも他害、大声など他の利用者に迷惑がかかる場合は出てもらうと言われました。

主治医の往診を頼むことができ、結果として主治医立ち合いのもと有料老人ホームで安らかに看取ることができました。しかし一般の高齢者の視点で介護が行われているためにケアには隙間の時間があり、ナースコールボタンを押す能力のない姉には淋しい思いや辛い思いがあったと思われます。今後、知的障がい者としての見守りが続く中に高齢者対応が加えられていき、仲間と最期まで過ごせるようにするのが目指すべき方向性と考えます。

高齢知的障がい者への支援に望むこと


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第5回全国手をつなぐ育成会連合会全国大会の分科会の一コマ。全国大会で初めて「きょうだい」が取り上げられ、来場者は130名を超えた(2019年2月23日)



高齢知的障がい者に対して、健常者の定年後のライフスタイルに相当するモデル、例えば昼間も作業に限らずのんびり過ごせる対応などが整備され、終末期に於ける公的サポート(医療的ケアを含む)を選ぶことが出来るようになった時、地域移行も含めた生涯にわたるノーマライゼーションが完結すると考えます。

そして、その時には障がい者のきょうだいが、その進路を制限されたり結婚できにくいという問題や、高齢の親と高齢知的障がい者のダブルケアや知的障がい者の孤立死の問題も解消される時だと思います。その為には、全国障害者とともに歩む兄弟姉妹の会の本部レベルで行われている厚労省への要望提出や他団体との連携などが、各地域でもそれぞれに適した形で進められることが重要だと思います。

伊丹きょうだい会では育成会などと連携して進めた結果、伊丹市第4期障がい福祉計画(2015~2017年)にはじめて「高齢障がい者対策」が盛り込まれ、第5期障がい福祉計画(2018~2020年)では「基幹相談支援センター」が新設され、その中に「高齢障がい者事例検討」も新設されました。今後の課題は中期・長期の支援計画が立てられる様に進めていくことと思います。

親亡き後、姉に寄り添った体験をもとに「A市における高齢知的障がい者の調査研究」と題して発表し投稿しましたので良かったらご覧ください。<日本地域福祉学会(2015年6月)、『日本の地域福祉』(2016年3月)>

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