2019 . 01 . 18

きょうだい児のつらさから考える家族支援

障害児の兄弟姉妹、きょうだい児。きょうだい児には、周囲には理解しづらい困難があるといわれます。健常に(定型発達として)生まれてきたきょうだい児への支援、障害児を抱える親への家族支援について、吉川かおりさんに伺いました。


きょうだいが抱える問題は日本社会が抱える問題の縮図


 きょうだいが抱える問題って日本社会が抱える縮図というところがあると思います。だって、家族の中で起こった問題は家族の中で解決しろっていう外圧があるでしょう?家族問題に関わらない人を、自分の人生を生きてていいよねって褒めるより、なぜ家族のことをやらないのかと批判する。献身的に尽くして自己を犠牲にしている家族を美談みたいに取り上げる(人の面倒を見ることで自己存在の確認をしていることを是とする=共依存の容認)。
 生活に困難を抱える人がいる家には、そういう個の確立ができない文化が集約された状態になってしまっているように感じます。日本の仕組みそのものが歪んでいるということにもっと多くの人が気づいて、「変えていきたいよね」「少なくとも子ども支援と家庭支援のところを充実させていきたいよね」って思ってもらえるようになっていってほしいと思います。せっかく健康に生まれてきたきょうだいを、精神疾患を発症するまで追い込んでしまう社会っていうのは間違っていますよね。



家族で抱え込まず、社会に開いていく


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 日本社会は個の確立というところが弱いと思います。だから、個の判断能力が落ちてくると、家族の誰かが代わりに判断を求められる。でも、家族は互いに利益相反するものですし、本当は1人の個人のことを他の個人が1人で代弁できるはずはないんですよ。見えているものは、人それぞれ違うものなのですから。だからこそチームで、いろんな人の討議の中で支えていく仕組みにしなきゃいけない。そういうチームがあってしかるべきで、そこに家族はチームの一員として加わることはあっても良くて、この人の小さい時はこうだったから、これは嫌いな可能性がありますと言ってあげられるような人としてチームに加わればいいわけです。
 
 こうした支援チームの運用は、先進的なところ、例えば兵庫県西宮市の青葉園などでは既に行われています。支援チームで会議を開くときは重症心身障害があっても本人に会議に出席してもらって、こっちですか?それともこっちですか?というのを、表情や様子を見て意思を確認しながら決めるということをやっています。
 
 こういう本人の意思を確認しながらサポートしていくことが大切なのは、認知症の高齢者も一緒です。認知症になった途端に、本人の意志が無視されて家族の都合で物事が決まってしまうことが多いですよね。私の伯父も、数年前に大たい骨骨折で入院したときに、軽度の認知症があると初めて言われました(昔から、こうと思ったら人の言うことを聞かない超頑固で理屈屋な人だったので、私は認知症ではないと思ったのですが)。病院のスタッフは、本人ではなくお見舞いに行った私に「どうしますか?」って聞いてくるんです。もともと年に2・3回会うくらいの関係でしたから、私には分からないので本人に聞いて下さいと返答しても、スルーされて、病院生活のあれこれの指示を(私に代わりにやれと)言ってきました。伯父自身も「入院したら、まるで僕の考えていることは意味がないみたいなんだ、誰も尊重してくれない」って愚痴をこぼしていました。・・・これではダメですよね。
 
 病気や障害のある本人の前でその人のことを支援チームの皆で話し合うためには、文化が成熟してないとできませんが、そうあるべきですよ。そうやって家族ではなくチームで本人の意思を尊重した支援ができると、家族の負担も減って、きょうだいも普通のきょうだいとしての関わりを持てるようになります。つまり、冠婚葬祭の付き合いや、仲が良ければたまに会って食事する、きょうだい自身に適性とできる環境があれば支援チームに加わるといった、「普通の関係」を作ることができるようになり、それぞれの人生を充実させていくことが可能になるのです。家族が抱え込むのではなく、社会に開いていくという、あるべき姿にまだまだなってない現状を、日本全体の問題として皆さんに認識してほしいです。

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