「家族だから」を壊したい

Sibkoto運営者の1人であり、知的障害者の兄を持つ白井俊行さん。家族だからといって助ける必要はないと言う白井さんはどういう体験を経てその思いに至ったのでしょうか。その経験とSibkotoへの思いをインタビューしました。

Image

白井 俊行 さん  (Sibkoto運営者)

1983年生まれ。大学院で心理学の修士号を取得後、IT企業に9年間勤務。その後独立し、本業の傍らSibkotoの立ち上げ、運営に携わる。


ある日、家から人がいなくなった


 まず、私の家族構成と兄が障害者になってしまった経緯についてお話しましょう。私の家族は父・母・父方の祖母と4歳上の兄・12歳下の弟と私の6人で、兄が知的障害と難治性のてんかん持ちです。
 私が6歳、兄が10歳のときに、突然家から人がいなくなりました。夜になっても誰も帰ってこない。その日はどう過ごしたか覚えていないのですが、その日から母方の祖母が家にやってきたり、近所の友達の家に預けられてそこで一緒に晩ご飯を食べたりしました。とても良い人たちだったのですが、突然他人の一家団らんに混ざるっていうのは戸惑いますよね(笑)。実はこのとき兄が高熱を出し入院していたのですが、そのことは知りませんでした。期間は1ヶ月位でしょうか。高熱は数日で収まったらしいのですが、後遺症のおかげでずっと退院できなかったようです。後遺症として残った障害は知的障害と難治性のてんかん。結局、この障害を負ってしまった兄を好きになれませんでした。

兄弟喧嘩する毎日。とにかく大嫌いだった


Image
 兄の知的水準は小学校低学年程度で日本語は通じるし、足し算引き算くらいはできました。もちろん人をからかったり、イタズラもできましたよ。私もそのターゲットになりました。家で宿題をやっていれば「まだそんな問題やってるなんて幼稚だ、バーカ」とか言われたりして。まぁ、その問題を兄は解けないんですけどね。だから余計に頭にきてずっと喧嘩をしていました。知的障害があるといっても人を泣かせて喜びを感じる、そんなことはできたみたいです。
 てんかんの発作は少し怖かったですね。発作が起きると、突然全身の筋肉が硬直して意識不明の状態で倒れる。それが食事中だと勢い良く机や食器に頭を打つので、食器がひっくり返ったり、グラスを割ったり、さらに失禁したり、もうメチャクチャになります。そんな状態になったら、まず呼吸できるように口の中のものを取り除いて寝かせてから、食器や食べ物や下着の後片付けをする。それを母と祖母がしていました。それが日常になってしまったので、私はそれを傍目に見ながらご飯を食べきって居間に戻る。手伝ったことはありません。手伝えと言わなかった母も凄いなと思いますが、なにせ、兄が大嫌いでしたから。

溺愛する母、殴る父


Image
 母は兄を溺愛していました。何かにつけて「お兄ちゃんは大人になってもずっと私のもの」と言っていましたし、やっぱり態度でわかります。そんな母でも辛そうなときはありました。食事中の発作や失禁の介助をしているとき。居間でしたオナニーの後片付けをしているとき。てんかんの薬をどうしても飲み込めないで1時間も口に含み続ける兄を泣きながら叩いているとき。あれだけ溺愛している母でさえ苦労を重ねてなんとかやっている状態なのに、自分に介助が出来るわけない!とずっと思っています。今もです。
 父は正反対で兄を受け入れていませんでした。兄の介助も家事も一切しませんでしたし、それどころか、ある時から毎日兄を殴っていました。愛もなく、無慈悲に。母もどうしようもないときは頭を叩いたりしましたが、やっぱりどうしようもなくて、というのは子どもながらにわかりました。でも、父は言うことを聞かない兄を憎んでいるような殴り方。一言で言えば、虐待ですね。兄も不思議と殴られる度に「ひーん」とか「あぁー」とか被害を受けてる!みたいな声を出すようになりました。なぜ声を出すようになるのかわからないのですが、あの声、嫌ですね。
 今ならなんて酷い話だ、そんな父親は通報して当然、と思うのですが、その当時の私は父が絶対というか、兄が嫌いという点で父に同調していたので、言うことを聞かない兄が悪いんだと思ってました。だから殴られて当然。私の中では当たり前の出来事だったので、誰かに相談することでもないと思っていましたが、「面前DV」という言葉があるように、このことで家族という場所が自分の居場所ではないことが刷り込まれてしまったように思います。

あなたが優しいから私は悲しい


Image
 家庭では最悪な思いをして過ごしていましたが、学校でもそうでした。同じ小学校に通っていましたから、先生も同級生も上級生もみんな兄を知っている。学校でも突然歌いだしたり、奇声を上げたり、発作で倒れたりする。そうすると、同級生や上級生からは冷やかしも入るし、みんなが兄をからかっている場面も目撃する。「物を無くした!」と騒いでいる兄に「服を脱いだら出てくるかもよ」とか言って本当に裸になっちゃう。それでみんな喜んでるのを見て・・・最悪な気分ですよ。無関係であってくれ!とずっと思ってました。
 中でも嫌だったのは、心優しい先生たち。特に道徳の時間で作文を書かされるときに「いい題材があっていいね」と言われたことは忘れられません。多分、兄を助けたいですとか書いておけば良かったのでしょう。それが道徳的な正解なんでしょう?でも、ずっとそう思えなかった。そう思えないどころか、兄に消えてほしいと思っている自分はなんて心が汚い人間なんだと思いました。これからもずっと兄を理解したふりをして、助けたいという嘘をつき続けて、本当の気持ちを押し殺して生きていかなければ誰からも認められないのか、と悲しみました。「お兄ちゃんを助けてあげてね」と優しい言葉をかけられたりもしましたが、その言葉が優しいからこそ悲しみが大きかった。

“普通の世界”で行き詰る


 学校でも家でも地元ではどこにも居場所がなかったので、大学進学を期に切望していた一人暮らしをしました。学校では優等生のフリをしていたので、勉強もそこそこできましたよ。そして勉強は自由になるための最強のツールでした。勉強ができても誰も文句を言わないし、地元の大学では満足できないことを示せる。自分の学力見合った大学に行くことが一人暮らしをするための唯一の正当な理由でしたから。
 そうやって自分なりに“普通”を手に入れたはずでしたが、大学を卒業し、社会人になり、色んな所で違和感を感じました。みんな家族のことを楽しそうに話すこと。友人の結婚式に出席すると、家族や親子の仲がいいこと。友人に子どもが生まれたのでお祝いに行くと、夫婦や赤ちゃんとのやり取りに愛情が溢れていて驚きました。頭ではわかっていたつもりでも、自分は違う世界に住んでいることを肌で感じました。自分が上手く普通ぶれないことも心を病みがちなこともそれが原因ではないのか。そこで思い直したんです。一度だけ、少しだけでもいいから普通の家族として過ごしたら自分を取り戻せるんじゃないかって。その時、兄はてんかんで頭を打ち続けた結果、話すことも歩くこともできなくなってずっと施設で暮らしていました。弟は高校生だったので、両親と弟と私の4人だけで暮らすチャンスでした。そこで会社に無理を通して3ヶ月の間仕事を休み、実家で暮らすことにしました。私が29歳のときです。


親は期待しても変わらない


Image
 自分が障害者のきょうだいとしてのアイデンティティがあることを自覚し、きょうだい児という言葉を初めて知ったのもこの頃です。きょうだい児についてのWebページを両親に読ませ、自分の境遇を話すことで少しだけ両親との距離が近づいたかな。そう思ったのですが。そう思って終わりにしたかったのですが。その矢先に母が癌であることがわかり、さらに手術後、退院した頃に双極性障害(躁うつ病)を発症してしまいました。躁状態の母は強烈で朝4時に私の携帯に電話をかけて「ここを障害者のための施設を作るの!」と言ってそのまま発注の電話をいれようとする。障害者のためなら何だってしてやるっていう態度で人を攻撃し始める。母の本性がむき出しになったように感じました。それはつまり、何だかんだで母の頭の中は兄と障害者のことで一杯で、私など入る余地もなかったのだと思い知らされたのでした。そんな母を目の当たりにして父は・・・介助してあげようという気持ちが感じられませんでした。洗い物をやれと言えば、洗ったそばから割れる勢いで食器を置く(実際にお皿が割れていました)。家事を“やらされている”ことが屈辱のようでした。その後、それではダメだと父へは最後通告をしたのですが、何も変わらなかった。子どもがどれだけ期待しても、結局親って変わらないんだなと思い知らされました。信じれば人は変わってくれると勘違いしていたようです。
 その後は、実家との関わりを絶ち、一人暮らしを再開して仕事に復帰することを選びました。ギリギリの判断でしたが、最善の選択だったと思っています。あのままの生活を続けていたら、きっと自分が潰れていたでしょう。母は自分を取り戻せないまま3か月後に他界しましたが、それでも後悔はありません。

受け入れる必要なんてない



Image

きょうだいの問題は障害者本人との関係や障害の特性、親との関係、家族制度、社会制度など様々な問題が複雑に絡み合っている



 障害者の兄と、育った環境と真剣に向き合って、喧嘩して、兄を助けたい障害者を助けたい家族を助けたいという気持ちにならなければ前に進めないとずっと思い込んでいましたが、それは間違いだったようです。嫌いなものは嫌いだと言って良いこと。父は虐待をしていたこと。母はそれを黙認していたこと。私をネグレクトしていたこと。自分の家族や育った環境を否定するのは辛いし認めたくないものですが、きちんと否定することで自分の人生を取り戻せたような気がします。自分が前に進むために家族や障害のあるきょうだいを否定してもいいじゃないですか。私たちはいつまでも家族の脇役でいるわけにはいかないんですから。

「家族だから」を壊したい


Image
 こうして私は自分なりの考え方を見つけることができたのですが、かつての私と同じように悩んでいるきょうだいたちは多くいます。「障害のある兄から性的な虐待を受けていて、母親に黙殺されている」「障害児の方にお金をかけているから、親に進学を諦めさせられた」など、私以上に過酷な状況の人もいます。そんな中でも社会は自分を犠牲にして障害者を支える優しいきょうだい像を求めてくる。これは本当に良くない。別に家族だからって助けなくてもいいじゃないですか。最近は「家族だから助け合う」という考えは実は間違っていて「あなたを助けたいから、私とあなたは家族」なんじゃないかと思っています。
 Sibkotoは障害者のきょうだいのためのサイトです。たとえ、身内に障害者がいたとしてもきょうだいや家族に対する考え方や体験は人それぞれです。だから、様々な立場のきょうだいの想いや体験を聞かせてほしいと思います。色々な人の体験が集まることで、「どうして自分だけが」と悩んでしまうきょうだいをなくしたいんです。

#きょうだい児
#Sibkoto運営者
#知的障害
#てんかん
#虐待
#毒親
#白井俊行
#絶縁
#進学・就職